「仏道体験」と「弟子の修行」
2016-01-21 17:56:31 No Comments
お坊さんの話を聞く機会がありました。
命は等しく同じであり、蛆であろうと輝いて見える「気付き」を「仏道体験」と。
それは「悟り」でもあり、毎日毎日真摯に向かい合わないと起こらない。
お坊さんであっても、全員が体験出来るワケではない。
また、お坊さんの修行だけではなく、仕事や家事であっても毎日一生懸命向き合っていると「気付き」が起こる。
物事の真理なんだと納得。
「弟子」としての「修行」は雑用から始まります。
まず掃除などの「準備」と立ちんぼで師匠の仕事をみて盗む「見取り稽古」。
これも本人の感情や精神状態に関係なく、追い込まれる。
強制的に「毎日毎時間毎分毎秒、向かい合わされる」わけです。
その中で「気付き」がある。
「ハッ」と何かすごい事が分かった気がするけどことばにならない。
それを繰り返すと言葉になったり、行動出来るようになったり。
「仏道体験」のような「修行」をしていたのだな、と。
今、トレーニングも毎日黙々とやっています。
何かに気付く、その時まで。
これもまた「悟り」待ち、「気付き」待ちの状態。
ただそれのみを無心でやり切る事が、正解。
やり方は間違っていないな、と確認。
話してくれたお坊さんは、「仏道体験」されたのでしょうか。
気になるけど聞けなかった。
でもあれだけ言葉に出せるのだから、きっと体験されてるのでしょう。
今日も帰って「悟り」待ちの懸垂します。